C++幼女先輩

プログラミング成分多め

旅行しながら働く方法と実際

トラベルプログラマ

キャリアスター

実は最初からフリーランスであった
フリーランス仲間であつまり、共同で事務所を借りて
フリーランスの営業が仕事もってきて、チーム組んで開発していた

さかのぼる事15年前

もともとフリーランスではあったが、ネットワークの設計監理の仕事を請けた
当時東京に住んでいたが、長野県内のネットワークの設計監理のため
長野県に家を借りて出張していた
そこで、マニュアルを作り教育をし、運用は現地スタッフで出来るようにした後、わたしは設計とツール作成のみになった
東京に戻り、チャットで会話しつつ、設計を作り送るというリモートワークが可能になった
そこで思いたち、タイのプーケット パトンビーチに ノートPCとモデムを持って旅行にいった
15年前の当時は、タイをはじめ多くの後進国ではインターネットはなく電話回線で繋ぐ必要があった
今では後進国でもWifiがあるので問題ないが
国についたらまず 電話会社に加入して、宿で電話回線をひっぱってもらった
プーケットは日本と時差が2時間しかなく、昼間はとても暑いため
朝ごはん食べたら ホテル内に引きこもり仕事をし、夕飯を食べに出る
そんな毎日だった

最初は普通のホテルに2週間滞在した。知人紹介や長期で 1日5千円程度とお安くしてくれた
家事全般しなくていいし、物価は安いし、食べ物美味しい。仕事には何も困らない

その後、ビーチから離れ 市街地に近い安宿。1週間で3000円ぐらいの宿に2週間泊まったが
こちらも、直ぐ近くにメガマートがあり、快適に仕事ができた

再び常駐

ゲーム開発に戻り 常駐して開発をする

自社パッケージ

自社パッケージを作りたいというお客様より持ち帰れる仕事をもらう
最初は 再びプーケットで1ヶ月トラベルプログラマをし、実家に帰った

再び常駐

常駐で大手にはいって働き始めた
その時に 税金対策で今の会社をつくった
会社の経営が一時的に悪くなり SESから請負に変更し、なし崩し的にリモート開発が可能になった

なし崩し的リモートワーク

仕事も当時はスマートフォンが流行りはじめで、ノートPC1つで仕事が出来る時代であった
また、サーバも オンプレからクラウドに移行期で、サーバも持ち帰りしやすくなっていた

その後も、スマートフォンゲームの流行とともに、ずっとリモート開発が出来るようになり
実家、名古屋、山梨、セブ、台湾、インドネシアベトナム、マレーシア、香港、タイ・・・ と、ノートPC1つで仕事をする

会社を作ったこともあり、個人より大きな案件を持ち帰る事が可能になったのが 意外に大きかった
また、数名 フリーランスを内部に囲ったため、個人では出来ない再委任が、会社でうければ可能になり
旅行中に客先にいく仕事がある時は 彼らに頼むことが可能だったのも大きかった

再び常駐

大手案件でIPがからむため 持ち帰り不可能で緊急ではいった

現在

やはり プーケットで仕事をしている
2ヶ月に1回は海外にいき トラベルプログラムすることにしている

良かったこと

自分のペースで仕事ができ、私の場合はオフィスより効率がよい
仕事のストレスも、青い空をみれば消えてなくなる
食べ物美味しい、果物美味しい、日本の良さ再確認できる

特に経営をするうえで、海外情勢を知ることは重要だ
ベトナム人は真面目とか、海外では日本にないサービスがあったり、こんなサービスがあれば便利など
アイディアも出てくる

また、現在ベトナムの会社と仕事をしているが、日本のエンジニアも今後どんどん海外と取引をし、出張も増えるとおもうが
ベトナム出張に関して、一人で旅行するすべを身に着けているので、なにも躊躇なく仕事をうけて出張出来た

悪かったこと

わたしは とにかく英語。。コミュニケーション難しい 次は語学留学しようとおもう

ゲームがとにかく恋しくなる。任天堂Switchぐらいなら持ってこれるけどPS4は無理。毎日イベントの事が気になる